勢至堂(せいしどう)渓谷五滝

福島県須賀川市、勢至堂渓谷の五滝をご紹介します。
今回は、導入と言う事で。

現在はフレームだけになってしまいましたが、以前はこの看板が渓谷の入り口に掲示されていました。
この看板では、道路わきの3滝のみが描かれていて、3番目の滝が姫子滝と表記されています。
ネットでも、殆どの人が、3の滝を姫子滝として紹介しています。
当、進め!!丸子山FCでも、そのように紹介していて、今回、丸子山紀行を始めるにあたり、写真を整理し、ネットで、資料をまとめている時、須賀川市の観光ブログに、見えない所に二つ滝があって全部で5滝になるとの記述がありました。
これは、雪が溶けたら早速出向くしかない…と言う訳で、須賀川の山中へ向かいました。

勢至堂渓谷周辺図です。
銚子が滝、馬尾の滝、姫子の滝改め大岩の滝は道路から見えますが、本物の姫子の滝と鳴沢の滝は道路から見えません。滝に近づくには、藪こぎが必要です。


勢至堂峠は、豊臣秀吉が伊達正宗に造らせた通称太閤道が原型で、勢至堂宿は、江戸時代、参勤交代の宿場町として栄えました。
一里塚や太閤清水、などの史跡が残されていますが、利用者のモラルの低い行動により、現在は、立ち入り禁止になっています。

街道は、国道294号線(起点千葉県柏市→終点福島県会津若松市)となっていて、線形の改良が進んでいますが、滝の周辺にはまだ、狭小な区間が残されています。
駐車スポットは、道路わきの線形改良前は道路だった場所です。
改良前は、こんなにくねくねと曲がった道だったんだな…と、想いを馳せるのも一興です。


下流から順に追って行きましょう。
鳴沢の滝→こちら
姫子の滝→こちら
大岩の滝→こちら
馬尾滝 →こちら
銚子ヶ滝→こちら


おまけ
勢至堂集落

今でこそ、さびれた山間部の集落然とした佇まいですが、往時は、参勤交代にも使用された主要な街道で、本陣や、遊女のいる旅籠もあったようです。

その集落のはずれには、国道の看板が残されています。


おまけその2
太閤の道
郡山側のトンネル入り口手前には、駐車スペースがあります。
そこに車を止め、トンネル方向へ向かいます。

道中安全鋼ヶ嶺天保観世音の石碑があり、峠の安全を見守っています。
この碑が建ったのは、天保13年(西暦1842年)この年の出来事は、水戸の偕楽園が造園された事でした。


今では、勢至堂トンネルであっという間に通り過ぎるこの峠ですが、郡山側のトンネル脇には、豊臣秀吉が造らせた太閤道への入口があります。
太閤道へは、左に見える急な階段を登ります。

太閤道と現道の国道294号線。
秀吉は、こんなハイウェイが通る事は想像できなかっただろうな。
白い杭には説明があり
「歴史散策太閤の道。至会津横三間之海道可作之事(秀吉朱印状)秀吉天正十八年(1590年)八月八日長沼城から下る。仮定県道一等茨城街道大改修により明治二十八年(1895年)廃道。」

リュウノヒゲみたいな植物が生えていて若干ぬかるんだ太閤道です。

倒木です、今年は、人生で最も倒木をさばいた年になるだろう。

倒木を越えると杉の植林地に入ります。
そして、この場所。
一番目立つ踏み跡が正面についています。
一見すると、そちらは、幾本もの倒木がある、切通しのように見えますが、実はただの沢。
いくらも進まないうちに急な斜面に切通し然とした窪地が消滅します。
正しい道筋は、左の杉の植林地に進むルートで、街道の部分にも杉が植えられている為、分かりにくくなっています。

先ほどの分岐から左に曲がって20歩位歩きました。
杉の間をよく見ると、蛇行した窪みがあり、この跡を辿ります。
そのまま進むと、正面に沢があり街道はそこで折れ曲がって上を目指します。
途中、説明の杭があり、新発田藩村上藩もここを通ったとの説明があります。
新発田藩と言えば、白河と那須の境にある「境の明神」にも、灯篭を寄贈しています。
杉の植林地を抜け、左に曲がって、さらに二つの九十九折れを抜けると、峠まではあと少し。

正面の杉の植林地を抜けると、藩境に到着です。

藩界表石「是ヨリ西北会津領」元禄十二年十月二十二日建立。

藩界のパノラマ画像。
左が守山領、右が会津領。正面に藩界表石。
この峠には、茶店が建っていたようです。それっぽい広場があります。
写真をクリックし、飛んだ画面の下にある「オリジナル画像を表示」をクリックすると大きな画面で開きます。
パノラマにすると解像度が下がって一昔前のデジカメ写真のような残念な画質になるのが切ない。